2017年1月3日火曜日

七重塔と御柱

今日、NHKの歴史ヒストリアってやつで、七重塔をやっていましたね。


この番組では言及していなかったけど、フレイザーをアホほど読み込んで、レヴィ・ストロースで構造主義に百叩きの刑にされたワタクシはピンと来たね。

これは、自然崇拝の一つ、樹木崇拝ですよ。

五重塔も含め、今回の七重塔でも建物の真ん中に柱があって、周りの建造物はそれに触れないよう、風雨から保護するように建てられていたんだね。
つまり、この場合、仏閣に建てられた建物ながら、信仰の対象は「柱」であったのだよ。

なぜそんなことをするの?

これに関しては、キリスト教の布教に関して話を拾ってまいりましょう。

昔々の話、まだキリスト教がヨーロッパに浸透していなかった時代のお話です。
大グレゴリウスと呼ばれた教皇様がいました。グレゴリウス1世といいます。在位期間は540?-604です。いつから在位していたのかは正確にはわかっていません。

彼は、いまだガリア地方をはじめとしたヨーロッパの奥地に残る自然崇拝者に対して、キリスト教を布教しようと試みます。その一環として行われたのが、当地の宗教と交じり合ってキリスト教を布教しようという試みだったんですね。その表れとして、ゴチック建築の怪物的なレリーフが現れてくるわけです。

ワタクシは、七重塔もこれと同じ理屈じゃないかと思いました。
つまり、日本の各地に残っていた自然崇拝、特に樹木崇拝に対して、仏教との融合を図った建物なんじゃないかと。

ワタクシの予想としては、聖武天皇があれを建築した当初、あの周りに樹木崇拝を主にした面倒な豪族がいたんじゃなかろうか。諏訪大社周辺にいる御柱を主催したような血なまぐさい連中のように。
それを取り込むために、柱をまず立てて、仏を守るように周りに設置したのではないかと。柱が樹木崇拝のアナロジーになるわけです。

結果としては、おそらく仏を守る連中は四天王ぐらいに位置付けられたんでしょうけども、現地民に関しては、ワタクシたちの神々が、仏を守っている程度に受け止められるように、情報操作したんじゃなかろうか。

インドの神々が、仏教に取り込まれたのと同じ理屈だよね。

この手法は、上述の大グレゴリウスの時にもインドにおける仏教の布教にもよく使われた常套手段なんです。日本で同じ理屈が使われたとしてもおかしくはない。

そんなわけで、ワタクシは、高い塔の建築は地元の自然崇拝の血が色濃く残っているのではないかと邪推しているのです。

どうでしょう?


ちなみに動画は、かわゆいステップレミングさんです。最近よく、齧っては落ちて齧っては落ちてを繰り返しているのです。
本当に、可愛すぎてワタクシの心を1000mスナイパー並みの精度で射殺してくるのです。
ヤヴァイです。
可愛いです。
よろしくお願いいたします。

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